ナシーム・ニコラス・タレブの「身銭を切れ」を読むと、身銭を切ってリスクを取ることの大切さがわかる
新型コロナウイルスの問題が騒がしくなっていますけど、テレビの無責任さなどを見ておりまして、いまこそ「身銭を切れ」ということが重要なのかなと思いました。
株式が大きく下がったタイミングでもいいかなというのもあります。
ということで1ヶ月以上前に読みながらなかなか書けなかった「身銭を切れ」の書評について今日はまとめたいと思います。
本書は前作の反脆弱性の続編的な一冊で、リスクについて一家言あるタレブはリスク(責任)を負わない立場から口出しをする人間が増えていること、そしてその存在が社会システムにどれほど不可逆な影響を与えるかを手厳しく批判し、いつものように皮肉交じりの辛辣な口調で切っています。
タレブはオーストリア学派の思想が強く極端に個人の自由の追求とそれに伴う自己責任を引き受けることを重視しているのですが、書いてあることはもっともだと思うことばかり。
投資にも通じる印象に残った点を個人的にまとめてみました。
身銭を切ることとは?
身銭を切れというタイトルですが、英語のタイトルは『SKIN IN THE GAME』。
訳すると「肌をゲームに晒す」ということですが、タレブは「自分の発言や行動に自らリスクを背負っている」ことを、信頼度を測る基準として評価していることからこの邦題になったのでしょう。
ちなみに『SKIN IN THE GAME』は、ウォーレン・バフェットも企業の信頼度を測る意味で使ったそうです 。
すなわち「企業の幹部が自社株を購入している」企業は信頼できるということです。
バフェットやフィッシャーは投資する企業の判断基準に経営者を上げていますが、そこに通じるということでしょうね。
付け加えてタレブは身銭を切ることに関して以下の意見を述べています。
- 身銭を切ることは、公平性、商業的な効率性、リスク管理にとって必要なだけではない。この世界を理解するうえで欠かせない条件なのだ。
- 人間の行動は、具体的で測定できるものなので、私たちが着目すべきなのは行動のほうだ。いちばん説得力のある発言とは、本人が何かを失うリスクのある発言、最大限に身銭を切っている発言である。
対して、いちばん説得力に欠ける発言とは、本人が目に見える貢献をすることもなく、明らかに自分の地位を高めようとしている発言である。
とくに2番目は保守的な傾向のある日本にとって耳が痛いものかなと思いますね。
学者やテレビの製作者、番組出演者は身銭を切ってない
タレブは「フェアかどうか」を重要視するところがあります。
なので破綻して政府から救済された銀行や、国が傾かない限り大学にいて安全圏から言うピケティなどの経済学者に対してとくに反発しています。
ナシーム・ニコラス・タレブ「ピケティの労働と比較した資本収益率の増大に関する理論は、明らかに間違っている」 - 関東在住福岡人のまったり投資日記
トマ・ピケティの「R(資本収益率)>G(経済成長率)」は、投資アフィリエイト狙いの人でも容易に使えるキャッチーなフレーズとして頻繁に見かけるものとなりました。...
- 現代性の由々しき側面とは、理解するよりも説明するほうが得意な人間がうじゃうじゃと増殖しているという点だ。
- アドバイスが間違っていた場合の罰則が存在しないかぎり、アドバイスを生業としている人間のアドバイスは真に受けるな。
- 学問の世界は、身銭を切らない人々のせいで抑制を失うと、自己参照を繰り返す儀式的な論文発表ゲームに変わっていく。
要は、データにないものを考慮することが重要なのだ。 - 記録のなかにブラック・スワンが存在しないからといって、そこにブラック・スワン自体が存在しなかったことにはならない。その記録が不十分なのであり、そうした非対称性を恒久的に分析のなかに含めるべきだ。背景ではきっと、物言わぬ証拠が原動力になっている。
- 身銭を切らない人が作る物は複雑化する傾向にある (最終的に崩壊するまでは)
- リスクを負わない人間が間違いを犯しても、その人は社会システムの中に生き残る。本来働くべき、自浄作用や自然淘汰といった新陳代謝が進まず、システムの中に不適応な部分が溜まっていき、それらエラーの蓄積は「何か」をきっかけにしてシステムの崩壊を巻き起こす。
- すなわち、利益を手にするにはそれと対称のリスクを取る必要がある、そしてそのリスクを他人に転嫁するべきではない。
職場で昼間にワイドショーが流れているときがあるのですけど、コロナの問題で頻繁に出てる岡田という女性がいます。
なんと医師ではないというのを知りまして、まさにタレブが指摘している事項に当てはまるかと。岡田晴恵(白鴎大学特任教授)さんについて勘違いをされている方へ。
— Kame Ron Diaz(San Diego出身) (@kamesan1959) March 2, 2020
たしかに国立感染症研究所ウイルス第三部研究員だったことはありますが、専門は 感染症学、公衆衛生学、児童文学であり、医師ではなく、得意分野は医療の歴史です。https://t.co/Ij4dfbWseO
出演を要望した番組にも問題ありますし、意見がころころ変わるのを見ると、患者に対応したこともない人間が専門家というのもいかがなものかと思いますね。
結局いいかげんなこといっても罰せられませんし、コメンテーターや番組の製作者は一番下っ端のアナウンサーが謝って終了のケースが多い(デマ流しても訂正すればOK的な印象あり)のを見ますと、身銭を切らないのってこういう人たちなんだと思います。
わたしが去年サクソバンク証券で投資を始めたのも、いろいろと調べて面白そうなETF紹介していて投資をしたいとまで書いていて、それが目の前に来たんだから自分で身銭切って投資をしないとなという思うところもあったからですね。
仮想通貨絡みをやたら推す人がいますけど、実際身銭切って投資してないアフィリエイターとかいますからね。本の中で述べられていて情報弱者向け情報商材屋なんかもタレブが嫌う人種の一種でしょう。
ちなみにリスクを取るという観点でヒラリー・クリントンをヒラリー・モンサント・クリントンとボロクソに言ってるのに対し、トランプに関しては身銭を切って自己破産した経歴があるから評価されると書いていました。
いじくりまわして身銭を切ってリスクを取れ!
前著の反脆弱性と重複するところがあるのですが、前著ではいじくりまわしということで試行錯誤というのが1つのキーワードでした。
これに身銭を切ってリスクを取れを加えたのが人生だろうが投資だろうが重要なんじゃないかと思いましたね。
以下の3点の言及からも「いじくりまわし」「身銭を切る」「リスクを取る」の3つがキーワードになるかなと。
- 真の研究を行うには、まず実世界で本業を持つべきだ。そのあいだに独自のアイデアを練っていくのだ。
- リスク・テイクは最高の善だ。世の中には起業家が必要なのだ。
- 個人が行き先を知る必要はない。市場が知っているから。
失敗から学ぶという時に身銭を切っていなければ本当には学べないということは投資をやっていてもほんと実感します。
どうしても年をとって保守化しますが、投資だろうが仕事だろうがプライベートだろうがリスクを取ることは続けないといけないなと。
何が正しいか分からなくても、あるいは失う痛みを多く味わおうとも、リスクを冒すことを恐れずにたゆまず進み続けることの重要ですよね。
相場が軟調で、世界で新型コロナウイルスが問題になってるときだからこそ余計に読んでおくべき本だと思います。


フォローする Follow @garboflash
更新情報を受け取る

- 関連記事
-
- 「無形資産が経済を支配する」は世界経済最大のトレンドを理解する上で重要な一冊
- ラーメン屋を10年続けてきたプロレスラーの川田利明氏が語る逆説ビジネス学
- ナシーム・ニコラス・タレブの「身銭を切れ」を読むと、身銭を切ってリスクを取ることの大切さがわかる
- 増配株・バリュー株重視の人にはぜひともオススメしたい、バリュー投資家のための「米国株」データ分析
- スポ-ツはポストモダン産業の旗手となれる?スポーツの経済学新装改訂版